断捨離が進んできた今、振り返って感じること
断捨離がある程度できてきた今、振り返ってみると、断捨離ってはじめの頃がいちばん大変だったなあ、と思うんです。そして、断捨離が進めば進むほど、反比例するように、労力はどんどんかからなくなってきて、いつの間にか普通の家事くらい日常茶飯事なものになってきたなあと感じています。
モノがたくさんあった時ほど、部屋の掃除や整理整頓、要る・要らないを取捨選択して「捨てる」ことにパワーが必要でした。
不要なモノをたくさん持っていた「昔の生活」と、断捨離が進んだ「今の生活」の間には、目には見えないけれどもとてもぶあつい「大気圏」のような濃厚な層がありました^^;
この「大気圏」を突破するまでは、もとの状態に引き戻そうとする「引力」があり、それを振り払ってまでモノを手放すのは、やっぱり苦しかったです。
だって、
- 捨てるなんてもったいないし
- 捨てなければ良かった・・・と後悔したくないし
- またいつか使うかもしれないし
- まだ使えるのに、捨てたら申し訳ないし
- モノを粗末にするのはよくないことだし
- ○○円もしたモノだから捨ててしまうなんてもったいないし
- これを持っていることが普通だし
- 今は着ないけど、もしかしたらいつか着るかもしれないし
- 今は着ないけど、また流行るかもしれないし
- フリマまで取っておいてもいいかもしれないし(開催予定はないけど)
- ヤフオクとかメルカリで売ってもいいし
- 何かの時に役に立つかもしれないし etc…
「もったいないオバケ」や、今まで慣れ親しんできた考え方が、べったりまとわりついて思い切り引っ張るのです。
引き戻そうとするものを振りほどくのは「非情な人」みたいでツライし、そんな面倒なことをしてまで捨てる必要あるのかな? とりあえず捨てるの保留にしておこう・・・そんなことをぐるぐる繰り返して、明らかに「要らない」と思えるモノしか捨てられなかったように思います。
でも、「私は大気圏を突破して、宇宙(=ミニマリストの世界)へ行きたいんだ!」と、えいやっとモノを捨て続けていけば、いつの間にか引力や抵抗は薄くなって、気がつけば断捨離は「日常茶飯事・あたりまえ」なことになっていきました。
「捨て」の判断も、以前に比べると、随分アッサリできるようになりました。
時折、ミニマリスト夫による強制断捨離はありましたけど・・・苦笑

あと、断捨離の気持ちを強力に後押ししてくれたものとして、ミニマリストカテゴリーに登録した、このブログの存在があります。(あまり更新できていませんケド・・・)
コトバにして綴ることは、私を引っ張ってくれました。コトバにして外の世界へとアウトプットしてみたことで、頭の中だけで考えているよりずっと、現実が動いたように思います(*´∀`*)
モノが少なくなればなるほど、なんだかもう、物質ってそんなに必要ではないような気がしてきました。「持たない身軽さ」のなんと心地よいことか。
気に入ったモノが少しだけある、くらいを目指していきたいなあと思います。
