スーツケースに荷物を詰めて一人ぼっちで入院して気がついた、人生で大切なこと

部屋に戻れなくなった時のために断捨離をして部屋を整えた

私は30代半ばの頃、「多発性硬化症」という病気の疑いで入院したことがあります。
あまり耳にすることのない病名ですが、国の特定疾患に認定されている難病のひとつです。

すごくざっくり言うと、脳や脊髄の神経細胞を覆っている髄鞘があちこち剥がれていき、身体の機能に障害をもたらしていく、20〜30代女性が発症することが多い進行性の難病です。

体調を崩していくつかの病院を受信して、脳のMRI検査で異変が見つかり、大学病院へ「緊急入院」として紹介されましたが、大学病院なので入院待ちの患者さんがたくさんいて、ベッドは満床でした。

入院までの数日間、ひたすら病気のことを検索しまくり、病気の概要がわかってくると、これから自分がどうなっていくのか怖くてたまらなくて・・・めちゃくちゃに、目玉が溶けるくらいに泣きました。 人生で一番、泣きました。

来年はもしかしたら歩けなくなっているかもしれないし、鏡に映る自分の顔を見ることができなくなっているかもしれない。 自分の手で、自分の口から、普通にご飯を食べることはいつまでできるんだろうか?

エレベーターのないマンションの4階で一人暮らしをしていたので、もし階段を上れなくなって誰かが部屋に荷物を取りに来てくれても恥ずかしくないよう、断捨離をしながら部屋の整理整頓をしました。

スーツケースに荷物を詰めてタクシーで病院へ向かい、一人で入院の手続きをしました。 田舎の両親に心配をかけたくなかったし、他に頼る人もいなかったし、あの頃は全てがいっぱいいっぱいに張りつめていて、「助けて」と言えませんでした。

怖くて言えなかったのかもなあって思います。

骨髄検査の結果、私は「多発性硬化症」ではありませんでした。 連日続いた精密検査でも大きな異常は見つからず、脳にあった病変は「脳梗塞」だったとの結論になり、今は普通に暮らせています。

あの時、同じ病棟で見かけた車椅子の女性たちはどうしているんだろう?

時折、当時出会った人たちを思い出すことがあります。心の中で無事を祈ります。



人生のどん底には「宝物」が落ちている

脳梗塞の後遺症で、私は視野が欠けました。 そのため、明暗差が激しいところでは、目で見た景色を脳がうまく処理できなくて、少し目眩がします。 目眩は当時を思い出すリマインダーのようでもあり、その度に、今こうして普通に暮らせているのだということを、再認識するのです。

ありがたい(有り難い)とは、有ることが難しいということ。
有り難いの反対は、「当たり前」。

心理学を学んでいたとき、人生で<どん底>だと思うようなところには「宝物」が落ちているんだよ、と教えてもらったとき、確かにそうかもしれないなと思いました。

目が見えること。手が動くこと。ご飯が食べられること。 当たり前だと思って日常は、けっして当たり前じゃなかったんだ、と腹落ちできたこと。

それにちゃんと気づけたことが、<宝物>だったと思うのです。

しかも、私の視界の一部は欠けているので、それを忘れないように、リマインダー装置になっているという。

人生って美しいもの、だと思えるようになりたかった

当時はすごく仕事がしんどかったし、人生もしんどかったし、不平不満ばかりの毎日でした。 自己防衛で、いろんな感覚を麻痺させていたように思います。

病気になってそのことに気がついて、こんなままじゃイヤだ!なんとかして人生を変えたいと思いました。

人生って美しいものだと思えるようになりたかった。

体調が落ち着いてしばらくしてから、美しいなと感じたものを写真に撮ってみたくて一眼レフカメラを買いました。

7年前の夏の出来事です。

手が動くのも目が見えるのも、ご飯を食べられるのも、当たり前じゃない。 奇跡のような尊さなのに。

でも、あまりにも当たり前すぎるから、それを有り難いと思うことは難しい。

失くしてから、もしくは失くしそうになってからしか気が付けないのかもしれない。

それはたとえば、<若さ>のように。

保存保存

関連記事