断捨離したモノの大半は、10年以上昔に買った過去の遺産だったという事実

ミニマリストになりたいと断捨離を続けているのですが、断捨離したモノを振り返ってみると、その大半が、5年、10年以上昔に買ったモノだったという事実に気がつきました(;´∀`)

私が若かった頃って、バブルは弾けていたけれど、毎日違う服を着て出社しないと恥ずかしいような風潮があったように思います。 私が働いていた職場はカジュアルOKでしたが、たまにスーツや綺麗目の服装も必要で、コートもバッグも靴もいろいろ揃えて、いろんなパターンでコーディネートしなくちゃと思っていました。

今みたいなお洒落なファストファッションはなくて、堂々とユニクロを着られる時代でもなかったし。

消耗しながら働いて、そのお金で百貨店で洋服を買って、節約して貯金もして。 当時は、そういうものだと思っていたし、たくさん所有することが当たり前で、持っていないと恥ずかしい気がして。

私が断捨離してきたモノの大半は、そんな時代に買った過去の遺産だったのです。

モノは粗末に扱ってはならない、という呪縛

私の祖父は明治生まれで「モノを粗末にしてはならない」「質素・倹約」など、とても厳しい人でした。 実家は商売をしていて、モノを粗末にしてはいけないと躾けられてきたので、私自身もモノを大切に扱う方だと思います。

そんな実家の影響もあって、やましたひでこさんの「新・片づけ術 断捨離」に出会うまで、使えるモノを捨てるのはモッタイナイことだと信じて疑わず、モノは増えていくばかりでした。

価値観が変わっていって

「断捨離」に出会って、「まだ使えるモノを、捨ててもいいの?!」と衝撃を受けた頃。
私は大学病院の脳神経外科に入院することになり、これからも続いていくと思っていた日常や、当たり前だと思っていたことが当たり前ではなくなって、それまでの価値観がガラガラ壊れていって。

あの頃。 私はかなりの量の断捨離をした、と思っていました。
でも、振り返って思い出してみると、当時の私がやっていたことは、整理整頓をして見た目を整え、明らかに要らないと判断できるモノを捨てていた程度だったなあ、と思います。

それでも、私なりに頑張っていたんですけどね。

捨て魔だと思っていた夫が、ミニマリストの師匠に

私がミニマリストになりたいと思っていなかった頃、私は、夫のことを「捨て魔」だと思っていました。

まだ使えるものなのに捨ててしまう「捨て魔」だと思っていたのに、私がミニマリストになりたいと思うようになったら、ミニマリストの師匠に見えてくるから、不思議ですね^^;

捨てることの罪悪感に凹みながらも、空いたスペースに漂うスッキリした空気は清々しくて。 断捨離を繰り返していたら、所有することが重たくてメンドくさい感じがして、モノを欲しいと思わなくなりました。

40才で再婚してから買ったモノは、ミニマリスト夫チェックで許可が出たアイテムが大半なので、断捨離の対象になってしまうモノは、本当に少ししかありませんでした。

ミニマリスト夫は、不必要だと判断したモノはアッサリ処分しますが、モノを手に入れる前にちゃんとよく考えてから選ぶので、持ち物が少ないのです。(時には失敗もあるようですケド^^;)

洋服探しは、迷走中です^^;

(▲中川政七商店でふきんを買いました)

ほとんど洋服を買わず、過去のアイテムで過ごしていたのですが、さすがにそろそろ新しい洋服が必要だと思うようになり、先日、梅田のグランフロントとルクアに行きましたが、ウィンドーショッピングで眺めているだけで満足してしまい、買ったのは、「中川政七商店豆紋ふきん」だけでした。

あ、洋服ではありませんが、欲しくてウズウズしているモノもあります、来月発売予定のカメラです。

洋服探しは、カメラのようにスペックで判断できるものでもないから、私には、本当に難しい。
いつまでも古い服で過ごしたくないですし、そろそろ新しい服が欲しいですが、洋服選びの迷走は続きそうです^^;

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