禅と掃除。足るを知る、清々しく暮らす
シンプルで心豊かな暮らしを実現するために
余分なもの、不要なものを思い切って手放し、限りなくシンプルに暮らす。
禅は、そのためにまずなすべきは掃除である、と教えているそうです。
掃除とは、たんに無駄なものを捨て、部屋をきれいにするだけでなく、あなたの心にたまった塵や埃(欲望、執着、見栄、嫉妬など)を落とし、磨く作業でもあります。
ものがあふれ、散らかり放題になった部屋は、あなたの心の乱れ、雑念の反映にほかならないからです。引用元:「禅と掃除 足るを知る、清々しく暮らす」
禅には人が美しく丁寧に生きるための知恵がたくさん用意されていて、たとえば、「一掃除二信心」という禅の言葉がありますが、これは、最初にやるべきは掃除であり、信心は掃除が済んでからのこと。 塵や埃をきれいに払い、丁寧に拭き清め、空間をきちんと清浄に整えてこそ、心が整い、信心も生まれる、という意味だそうです。
信心をするには清らかな空間が必要であり、そうした清浄な空間に身を置かないと心も整わない、美しくならない。
掃除というのは、汚れをとるのが目的ではなく、心を磨くために行なうもの。
禅寺の修行僧は、「己を磨くつもりで床を磨きなさい」と教えられるのだそうです。
禅の考え方を交えながら、簡素に生きるための片づけや掃除の方法、シンプルで心豊かな暮らしを実現するためのヒントが散りばめられていて、数ページ読んだだけでも、トイレや床や家の中のあちらこちらの掃除をしたくなってしまいました。
また、この本では、掃除についてだけでなく、日々の移ろいが感じられるように、暮らしを丁寧に生きることの大切さも書かれています。
「食べる瞑想」や「歩く瞑想」など、座って心を無にする以外にもいろいろな瞑想方法がありますが、この本を読むことは「読む瞑想」のようで、読んでいるだけで心がスッキリ整っていくようで、ゆっくりと味わいながら読みました。
ものが少なくなると、ひとつひとつの存在が凛としてくるよう
お正月用に飾った黄色いピンポンマムとアナスタシア。 茎先を少しずつ水切りして茎が短くなってきて、花の頭が重そうだったので、ウェック(220ml)のガラス瓶のフチに花を乗せるように飾ってみました。
昨年末に買ってから2週間以上たち少ししおれてきていますが、まだまだ綺麗に咲いています。
ものが少なくなると、ひとつひとつの存在が凛としてくるようで。 そして、ものが少なくなったことで、気にかけることができる「ゆとり」のようなものを、以前の私と比べると、持てるようになれた気がしています。
わんこと掃除
子犬時代のこの子がかなりの暴れん坊だったおかげで、ものを減らし、マメに掃除するようになった(ならざるを得なかった)のですが、猛獣だったココはいつの間にか、人間でいうと33才くらいになりました。
私はこの子にいろいろ躾けをしてきたと思っていましたが、もしかしたら、私の方が、ちゃんと掃除をするように、必要でないモノは減らすように、躾けてもらったのかもしれない、と思います。
行動することが大事!!
「いい本だったな。いいことを知った」と思ったならば、ちゃんと身体を動かして行動してこそ、本当に自分の人生に変化をもたらしてくれるだと思います。 やっぱりね、自らが動かなければ、現実の目に見える世界は変わらないと思うんです。
さて、掃除です!